はきだめ

適当なことをつらつらを書いていきたいな.

ブログを書かないのは甘え

久しぶりの投稿.

ここは掃き溜めなので,読むものは置いてないし何も得にもならない.

徒然述べるだけなので,その時その時の感情が置いてあるだけです.左手は添えるだけ.

 

去年の師走から,卒業論文制作のため偉い忙しくなってしまってブログという存在も頭から消えていたけど,今はちょっぴり余裕も出てきたので思うところあればまた書捨てていこうと思う.

本当は論文を書いている時のしんどさを表現出来ればよかったのだけど,一山超えてしまうと当時のストレスの度合いは表現しようがない.

 

忘れるということはとても良い機能だと思う.

上手に扱えるようになりたい.

忘れる

ふと考えたことを次の瞬間には忘れてしまうというは,よくあることで.年齢問わず.

 

もしかしたら,すごい重要なことだったんじゃないか.

いや,重要なことだったことは憶えてるぞ.

というふうにどうしても思い出さないといけないのでは,となるのが10代のころと違うところじゃないかなと.

 

昔は考えてたことに価値があると思ってないから,

忘れてしまっていても,「まぁいいかな」というように思っていた.

自分が考えていることは,そりゃもうクソみたいなもんで無意識に流していたかなと.

 

今は,自分が考えていたことにちょっと魅力を感じる瞬間ってのがあって,多分.

流した後に,後悔する.

 

これはきっと衰えじゃないんだという言い訳じゃなくて,

ちょっとしたポジティブ思考に導いていきたい.

 

あと,最近勝手に流してくれるトイレってあるけど,あれはどうなんでしょうね.

逆に,水に流すことを意識しないといけなくなっちゃうんじゃないの?

生きる

黒澤明監督の 生きる を観た.

 偉そうに感想書こうと思ってたけど、作品の感想と題して自分の人生観語りになって気持ち悪そうだから、やめた。

お葬式の場面で感じてた参列者に対する感情が、その後の新しい課長に物申せない男のシーンで返ってきた。

男の正面から撮ってるってことは自分は座って彼を観てる役所の人間の1人なんだろうな。


じっくりことことインスタント

消化するのに,時間がかかるコンテンツに取り組む体力がなくなってる気がする.

2時間の映画だって,へとへとだ.

分厚い本は,もう無理かもしれない.

 

どうしてこうなってしまったんだと嘆くときは,環境のせいにしておくことにする.

きっと,うぇっぶ時代の弊害なんだ,これは.

 

通勤時間,通学時間にさくっと消化できるような細かなコンテンツに世の中溢れていて,それに慣れてしまっているから,体力がどんどん落ちているんだ.

長いコンテンツだって,自分なりに小さな区切りを付けて楽しむようになってしまっているんだ.

金曜ロードショー観ながら,ツイッターで実況するようなのは,2時間のコンテンツをそのまま楽しむ体力が落ちてるからなんだ.

 

これからは長いコンテンツでも細かな区切りをつけられるようになっていくんじゃないかなと思うよ.僕のためにそうなってくべきだと思うよ.

 

 

引き算

映画、本、ドラマなんでも引き算って大事だよなーと思う。
あんまり丁寧に語るのは、観せるという立場的にどうなんだろと思うこともある。生意気だけど。

人間って勝手に勘ぐって感動するよなーと。
ある時に、ポケモンを中古で買ったことがあったんだけど、中古でゲームソフトを買うとよくあるセーブが残ってるカセットで。
主人公の名前が恐らく前の持ち主の女の子らしい名前だったのを憶えてる。
それで、手持ちのポケモンが何匹か100レベルで、あだ名もつけてあった。
もちろん前の持ち主のことなんか知らないけど、勝手に勘ぐってこれを手放すときどうだったのかなどと考えて落ち込んだりした。
かなり勝手だよなーと。

毎度まとまりを見せないブログで申し訳ないのだけど、引き算を日常のどこかに心掛けたいなと。

チラ裏

ブログを書くのはこっ恥ずかしい部分があって,文章を書く練習と思いつつもなかなか,筆が進まない(タイプしてるのにこういう表現使っちゃうよね).

 

なんでこっ恥ずかしいのかというと,このブログを通して自分の一部を表に晒してしまってしまうんじゃないかと.

自分を赤の他人に理解されてしまうことが少し怖かったりする.

 

このことを少し考えてみる.

 

僕は映画を観るのが好きなんだけど,

特にヒューマン・ドラマを好んで観ている.

それは,誰かの人生を追体験することで何か発見があることを期待してるからだと思っている.

見終わった後は,たくさん考えてしまう.

あのときの主人公の選択はどうしてだろう,こうだった場合の結末は・・・

と考えている時が一番楽しいかもしれない.

 

しかし,いくらそういう映画を見ても,登場人物がどう考えるかを僕の日常レベルに落としこむのは難しいなと思う.

いくら,ベンジャミン・バトンの人生を追体験したとしても,ベンジャミン・バトンにウケる話が何かってのは僕はわからない.

でも,高校時代くらいの長い友達ならいくらでも笑わすことができるんだよね.

そいつの人生なんかなんにも知らないのにね.

 

なので,ブログに僕のこと書いたって,僕がどう思うかってセンスは誰も持たないから,

ポジってこう.

ベンジャミン・バトン観たことないけどね.

デザインされた観光地にガイドブックはいらないのかも

旅行に行く場合,ガイドブックを読み込んで家を出ると大して楽しくないってパターンがある.

ガイドブックを読みながら,あれこれ想像していた瞬間が一番楽しかったなぁ.旅行前日のわくわく感がピークになると,旅行の帰りはそそくさを家路を急いでしまったり.

ほとんど旅行に行かない自分でも,こういうことは無きにしもあらずだなと.

 

1典型的なインドア少年としてお家でゲームをする日々を過ごしていたのを思い出すと,攻略本とゲームを同時購入したときもこんな感じだったなと思う.

既にわかっていることをなぞることは面白くないのだ.

シグマの弱点がフロストシールド知らないし,第二形態があるって知らないから,すごいドキドキしたわけ.

 

最近の観光地もよくデザインされてて,その場に行けばどこ行けばいいかわかるんだから,調べて行ったら勿体無いこともあるんじゃないかな.

 

ただ,観光地としてお優しくないところは調べたほうがいいはずだけど.